福島県の概要
福島県は東北地方の最南端に位置し、県都福島市は東京から約260キロメートル
、JR東北新幹線で約100分強の位置にあります。
面積は13,782.75キロ平方メートルと日本では北海道・岩手県に次いで3番目の広さを誇ります。
また福島県は南から北へ連なる阿武隈高地と奥羽山脈によって会津・中通り・浜通りの3つの地方に分類されています。 会津地方は北陸系の影響が強く、中通りは南陸奥文化、浜通りは関東の影響が色濃く、気候だけでなく風習・文化・方言等にも違いがあります。県土のおよそ7割が山という、とても自然豊かな場所で史跡旧跡が多く存在する歴史都市でもあります。
福島県のあゆみ
古代の福島県は陸奥国(7世紀から12世紀にかけて現在の宮城県、山形県および福島県全域で栄えた陸奥国・石城国・石背国の合同国のこと。
最盛期は清衡、基衡、秀衡の奥州藤原3代の頃。)の一部であった為、郡ごとに役所や寺院が各所へ造設されました。
現在これらは遺跡となって、古代の福島県のようすを現代に伝える重要な手がかりの一つとなっています。
平安時代には、法相宗の高僧・徳一大師によって慧日寺(現在の恵日寺)が開かれ、仏教文化が栄えました。
また、平安時代末期にはほぼ福島県全域が奥州藤原氏の勢力下に入り、福島盆地を本拠地に中通りから山形県の置賜地方まで支配されました。
鎌倉時代、源頼朝は文治5年(1189年)の奥州討伐で奥州藤原氏を滅し、奥州全域を鎌倉の直轄地としました。その後、伊達郡、結城氏、伊東氏、相馬氏、葦名氏を新しい領主とし、関東武士団による本県域の支配が始まりました。
天正17年(1589年)、伊達政宗は鎌倉滅亡後、勢力を伸ばしていた蘆名氏・佐竹氏・二階堂氏を打ち破り、福島県域の浜通りを除く大半を占領しました。
豊臣秀吉の天下統一に屈した伊達正宗ら東北大名は本領を没収され、東北地方に対する領土仕置が行われました。
伊達正宗が本拠だった福島市を含む信夫郡は、蒲生氏郷が新しい領主となりますが、後に越後の上杉がとって代わり、
関ヶ原の戦い後も各諸藩大名らの更迭が続きました。
江戸時代にはいると、いろいろな学問や文化が発達し多くの画人や学者が生まれました。街道などの交通路が整備され、各所で産業も発展しました。
特産物は、塩・蚕種・繭・生糸・絹織物・漆器・蝋・からむし・本郷焼などがあり、各藩や代官所が保護・奨励を行いました。
慶応3年(1867年)10月に大政奉還が行われ、武家政治は終わりを告げます。
江戸幕府が滅亡すると、江戸を制圧した薩摩藩・長州藩をはじめとする新政府軍に仇敵とみなされ、奥羽越列藩同盟のもと、本県域で戦いがくりひろげられました。
慶応4年(1868年)に次々と落城降伏し、同年の9月、会津藩も降伏し、白虎隊自刃など多くの悲劇をもたらした戊辰戦争は終結しました。
明治9年(1876年)8月21日、若松県・磐前県・福島県の3県が統合されて、福島県が成立しました。
現代では、子育てしやすい環境づくりや地域コミュニティの再生、環境問題など、21世紀をリードする「美しいふくしま」の実現を目指しています。
福島県の名前の由来
昔、福島県の北部は見渡す限りの湖で、真ん中に信夫山がありました。この山には吾妻おろしが吹きつけていた為、吹島(ふくしま)と呼ばれるようになりました。その後、長い歳月を経て「福島」となったといいます。
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| 福島県の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
ふれあい歴史館 |
| 住所: |
〒960-8001
福島県福島市上町5-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
024-521-5318 |
| 開館時間: |
9:30〜16:30 |
| 休館日: |
毎週火曜日、祝日の翌平日
※展示替えによる休館日もあります
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| 入館料: |
無料 |
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